文章を書くこと

文章を書く行為は何かの目的を持ってすること。強いモチベーションがあるほど、はっきりとした力強い言葉を綴ることができる。

漠然とただ何かを書きたい。それが動機として成り立つのかといえば、なり得てもたいしたものにはならず、ただのたわごとにしかならない。そういうことになるだろう。

文章を書きだすと「上手でないといけない」との意識が頭の中で回りだす。国語の教科書に載るような文章と言えば近い。国語のテストでただ点を取りたいがために目にした教本に書いてあったようなこと。答え合わせで解説されていたこと。ついつい、そんな感じのトラウマのような脳細胞の条件反射が生じてしまう。

願わくば、基礎的な要件がしっかりしていることが具現的な、あるいは抽象的ではあっても、そこはかと感じ取れる文章でありたいとは思う。

だが今思えること。それは自分らしさこそが一番であって、すべては自分で納得できる自分に至るための訓練なのだ。頭にくるほど下手くそなのでは自分が情けない。他人の目になって読んだとき理解不能なのは腹が立つ。表現したいことをしきれないことは悔しい。

スポーツが一番わかりやすい。基礎トレーニングの反復継続なしにして体力も技術も向上しない。結果は出せない。結果とは納得のこと。評価は天のなすこと。

どうにかして書くことを絶やさないように。そして「真似をすることが目的ではない」読書も続けること。それが自分をよくすること。それこそが実は生きる楽しみ。

 

 高齢者(老人)の荷物をf:id:smilecarry:20171119113443j:plain家族と一緒に運びます