責任をとれ!

 ある国での話。その国の職場では、役所であれ民間企業であれ、ことあるごとに責任を取らされる。自分自身のミスはもちろん、管理職であれば部下が、トップであれば職員のだれかが不祥事なるものを引き起こすと、管理責任の名のもとに、あるいは組織の威信なるものを守るために、上司や経営者が世間に対し責任を示すよう求められる。

 その国にも、かつては封建時代があって、歴史物語によると、切腹という名の死刑やら、お家断絶やら、お役御免など、実に厳しい責任を負わされたとのこと。どうやら、そのころからの気風のようなものが伝統として受け継がれてきている。

 さすがに今の時代では、死を命ぜられることはない。だが、極めて責任意識が強い人が周囲の重圧の中で自殺に追い込まれることは、けっこうある。また懲戒免職と名を変えた追放はあり、職を失い、自分だけでなく家族にも害が及ぶこともある。

 とはいえ、よほどの場合は別として、大半は責任者としての職位の去ることで社会的に責任を示すことになる。世間になるほどと思ってもらうには、組織の中であれば降格が必須であり、そうなると、された人物も、彼とともに仕事をする人たちにも、なんだか間が悪い。

 そこで知恵が必要になる。誰しもが責任を取らされる出来事に遭遇する。いざとなれば責任を負う覚悟がなければ大事はなしえない。だとすれば、責任はとっていただくものだとの認識が必要になる。責任をとってもらうと同時に、その人の生活を守ってやらなければいけない。できるだけ名誉の棄損が小さくなるような配慮も必要。

 その国の一流とされる組織体には、巧みに編まれた構造体がある。あみだくじの網を、一つ下がって、横に動くように、その構造体の中を移動する。その先が居心地よければ居ればよし、戻りたければ時間を置いてからチャレンジもできる。

 その国のマスコミは「責任をとれ!」と厳しく追及する。相手が官公庁の官僚である場合は特に厳しい。官僚が官民を絡めて編み上げた構造体を移動すると「天下りだ!」と叫ぶ。取材と称し、構造体の各所を暴露する。

 その国のマスコミの中心にいるのは、それは名の知れた大企業で、新聞、放送、出版、通信、それらを支える数多の企業をグループ化している。そこでも、責任による移動は常のことだが、自分のことは報道しない。マスコミ界は、お互いさま。こうして、世間の目は届かない。

 これは、私が友人から聞いた、ある国での話で、真偽のほどはわからない。