言論の家元

 むかしむかし、海の向こうに、とてもとても平和を愛する人々の住む国がありました。戦争はしてはいけない、決してしない。他の国での戦争にはかかわらない。軍隊はいらない。そんな主張をする人でも、誰かに咎められることもなく、自由な言論として受け入れられていました。

 幸いにも長い期間にわたり戦争のない時代が続きました。すると、このような主張をする人たちのリーダたちは世襲され、言論という文化活動の家元のようになっていきました。平和流や理想流といった流派がいくつかできあがりました。

 家元ともなると、流派のしきたりに従い振る舞い語る。その姿は凛々しく、話す口調は流麗そのものです。流派につながる人々に支えられ、安定した地位が確保され、中流の上、あるいはそれ以上の暮らしができました。

 そのもっとむかし、思想というものは、人が成長する過程で獲得するものでした。多くの場合、もがき苦しみ、血を流し、涙を流しながらの決断をして、同時に多くのものを失いながら、その末にようやく到達するものでした。

 このように思想が世襲されるようになると、言論の真剣勝負なんてなくなります。竹光や竹刀で形だけの勝負をするだけになります。なんて平和なことでしょう。ひょっとすると人類の理想が実現した。そう思えるかのようでした。