修行
修行をする。思い浮かぶのは、お坊さんと板前さん。
山にこもり、限界的に質素な生活を読教や座禅、ときには苦行や荒行とよばれる、きつーいトレーニングの日々を自らに課す、職業としての宗教者である僧侶。
かつては包丁一本晒に巻いて。いまでも、いくつかの店の板場を移りながら、料理の技術と精神を研修して育っていく料理人。
このふたつが典型的な例としてわかりやすい。
とはいえ、すべての職業で、一定程度の技能を習得し、労働や行為に対し対価を得るに至る。その過程はどれも修行と言える。
また、たとえ職業的な技能でなくても、上達するために努力する。これもまた修行と言える。
そして、心や精神の内面的なことでも、人が向上しようとする行為も修行である。
自らの工夫で上手になることも修行、他人から教えてもらって身につけていくことも修行、すべての人の、前に向かって努めることはすべて修行である。
修行をする。それは、より良く生きようとすること。私は、そう考えることにしている。