脱インテリ

 インテリあるいは知識人。ひょっとすると、私は人生のどこかから、それを追い求めてきたのかも知れない。学歴社会と言われるものは、インテリジェンスで世の中を導く階級に仲間入りするには、ともかく良い学校にまぎれこむことだ。皆が、そう考える時代であるのかも知れない。

 学校を出て、教養を積む。あるいは、その過程を通過することで、ある種の資格を得る。それはまるで運転免許証のように、徒歩でしか進めない人と差別化されるための証になる。そしてそれは、そのような人間たちと競い合うレースへの参加資格ともなる。

 この文章の書き手は、読み手にインテリジェンスを強要している。そのように思えるときがある。教養の水準を当然と要求し、わからないやつは馬鹿だと言いたげな感じがする。そして「私のすごさを認めろ」と叫んでいる。

 自分を先生と呼ばせる連中に、ろくなやつはいない。そう感じる時代に、どんどん進んでいる。そう呼ぶ連中の腹の中は真っ黒で、どうにかして自分に利益を引っ張り込もうとしている。

 どの世界にも有力者がいて絶大な影響力を持っている。それも現実に違いない。そんな人が、真の偉人なのか、似非なのか、意外とあっさり見抜かれてしまう時代になってきている。言葉の中から噴き出す傲慢さ。そのイヤミが見透かされるとき、品格が疑われ、尊敬が吹き飛ぶ。

 読み手や聞き手に要求するのではなく、様々な分野に得手不得手のある、幅広い人々に、自分の言葉を、心地よく、より正しく、できるだけ深く、謙虚な気持ちで語りかける。そんな人が大好きだ。そんな人になりたい。